魚が苦手な人の中には、味の好き嫌いではなく「切り身」になっていれば食べられるといった人が一定数存在します。頭やヒレが付いているのを見ると、海で泳いでいた姿を想像してしまい、かわいそうという感情が先に立ち、味わう気持ちになれないと言います。その時点で真の切り身以外は絶対に受け付けない人もいれば、焼いた干物で頭が落としてあれば大丈夫という人もいます。どうも「目」がポイントのようで、目が合うとダメという人もおり、その理屈から、しらす干しも小さいながらも魚の形が判り、しかも目があるので不可というケースもあります。熱々のご飯にしらす干しをたっぷりかけ醤油をたらしてかき込む瞬間に幸せを感じる人にしてみれば、目が合うとか合わないとか以前に、そういえばあれは小魚の本体丸ごとだったと気づくほど、個体それぞれを意識するヒマもないほど、美味堪能に集中していると思われます。同じ生き物の命をいただくことがどうにも許容できずベジタリアンになる人もいますが、植物も同じ生き物であることには変わりなく「生き物を食べるのはかわいそう論」は、突き詰めれば、何らかの食事をしないと生きていけない生命体であることを呪うしかないといった考え方に行き着いてしまいます。

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牛や豚であれば精肉、魚であれば鮮魚として「食材」となって流通するものを調理する以外、鮮度の良さを追求するあまり、生きた状態のまま賞味するケースがありますが、肉や魚の料理が好きな人であっても、そちらは敬遠する人が少なくありません。白魚などの踊り食いは、その最たるものとしても、口の中に入れてからは動かないまでも、まだ生きて動いている伊勢海老などが姿造りの刺身になっていたり、イカも活造りとして動いているところを刻んで刺身にするといった調理方法は、刺身や寿司が好きな人でも許容しがたいと考えている人は少なくありません。鮮度の追求で言えば、この上なく理に適った賞味の仕方ではありますが、人間側の「最高に新鮮な美味を堪能したい」という欲望を満たすために、生き物にしてみれば、生きながら命を奪われていくといった状態を強いられることになります。そう考えると、日本の踊り食い文化が海外の人々から非難されるのは、やや致し方ない面もあります。
世界各国にはさまざまな食文化があり、ある地域の宗教観などに則った価値基準で禁じるということ自体も議論されていますが、日本の踊り食い文化も伝統的な食文化なのだから許容されるべきといった反論は当然あり、それを支えている論拠の一つに「魚には痛覚がないから、踊り食いや活造りでも大丈夫」といったものがあります。魚やエビ、イカなどは痛みを感じていないから、生きながら食べられてもかわいそうではないといった考え方です。ところが、近年、実は魚にも痛覚があるらしいという海外での研究結果が発表され、新たな論争の火種となっています。その研究はニジマスを使ったもので、痛みを感じてそれを脳に伝えるという痛覚受容体を、魚が持つかどうかを証明するもので、ニジマスの頭に記録マーカーを付け、体にダメージを与えた場合、どういった反応をするのかを綿密に調べるといった方法で行われました。その結果、明らかに条件反射ではない神経反応が見られ、ニジマスが痛覚に相当する感覚を持っていることが、ほぼ証明されたと言われます。ニジマスの痛覚受容体が、人間が考える「痛い」に相当する感覚として刺激に反応しているのか、ニジマス以外の魚類にも同じことが言えるのかなど、その分野の研究自体、まだ着手されたばかりといった面もありますが「痛覚らしいものがある」と判っただけでも、踊り食い文化に黄色信号が灯ってしまった感があります。
釣りを愛好している人の中には、魚に痛覚があると完全に判ってしまうと、レジャーとしての釣り自体、気分的に行い難いものになるといった意見もあり、この分野の研究は、日本の踊り食い文化の存亡にかかわる問題以上の議論に発展する可能性もあります。魚にかかわらず、人間は、感覚的に「かわいい見た目」を持つ生き物は食用にし難く、そうでない生き物は平気で食べるといった面が無きにしも非ずで、その見た目感覚も、国や民族によって違うところでも、数々の問題を起こしています。ある国は、古来より滋養強壮に良い肉だからと犬を食べる風習があり、世界中の愛犬家から非難の声が寄せられています。ある国では、最近、国全体で食糧難に陥り特に肉不足を解消するため、国民にウサギを育てて食べるようにと子ウサギを支給しました。ところが人々は名前を付けて可愛がり始め、食肉には到底なり得ない状態となっています。日本人にしてみれば至極当然な流れに思えますが、ウサギのシチューが当たり前な国の人からすれば、育ち過ぎて肉が固くなる前に食べたほうがいいといった意見になります。
日本では、水族館を見学した人々が、直後に寿司店に向かうことが多いと言われます。ある意味、巨大ないけすで好みの魚を物色したあと、料理されたものを味わいに行くといった流れです。豊かな食文化を持つ日本ならではのおおらかな光景とも言えますが、魚を仕入れることができるサイトを利用する際も、海外の人々の感覚にも少々思いを馳せておくことも大切と考えられます。